1854年(安政元年)日米和親条約(神奈川条約)が横浜の地で結ばれから来年で丁度150年。西洋文化の入口として、横浜にはさまざまな新しいモノが入ってきました。
このコーナーでは、西洋からはじめて横浜を通して日本に入った文化やモノを紹介、その歴史と現在をお伝えする温故知新企画です。
日本初のガス会社が横浜に誕生
横浜開港当初は、まだ電気も無い。夜ともなると道は真っ暗でとても危険だった。そんな横浜の街にガス灯を灯そうと日本人初のガス会社を設立したのが、高島嘉衛門という人物だった。
嘉衛門は1870年(明治3年)にフランス人技師ペルグランを招き、日本初のガス工場の建設に取り掛かった。その2年後、1872年(明治5年)9月1日には、伊勢山下石炭蔵跡(現在の中区花咲町・本町小学校あたり)に横浜瓦斯(ガス)会社(のちに横浜瓦斯局となる)が造られた。そして同年9月29日、わが国初めてのガス灯が、ここ横浜の大江橋(桜木町近くの橋)から馬車道・本町通界隈に設置されたのだ。
あまりのまぶしさに見物人もビックリ
当時のガス灯は、石炭から発生させたガスをそのまま燃やす「裸火」(はだかび)で、柱は英国から輸入され、上部についている灯具は日本人職人によって造られたといわれている。
その明るさは15ワットほどしかなかったというが、提灯がなければ歩けないほど真っ暗だった時代、あまりの明るさに人々は驚き、文明開化の象徴をひと目見ようと多くの見物人が集まったという。
その歴史を伝える記念碑が、馬車道の関内ホール脇にある。当時の型をモデルとしたガス灯を復元。また壁面には、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写した明治末期の馬車道の様子を描いたレリーフも設置されている。また初のガスと会社が作られた中区花咲町の本町小学校の前にも、同じようにガス灯と記念碑がある。
馬車道で本物のガス灯が復活
初めてガス灯のあかりともってから131年。横浜市のライブタウン整備事業(公共施設整備にあわせて商業基盤施設の整備を支援する事業)の一環として、馬車道のガス灯が復活した。2003年(平成15年)3月に完成した通りには、イギリスから輸入した本物のガス灯60基と本物のレンガを移設、通りは車道を狭く歩道を広くして段差を無くし歩き安くした。また低木や花を植えられる植栽帯というスペースも確保し、異国情緒あふれゆったりとした通りへ整備された。
温かみがある優しい光で、馬車道を優しく包むガス灯の光。そんな光に照らされながら、文明開化の頃へ思いをはせるのもいいかもしれない。
(文・取材 益田典彦)

ガス灯の暖かい光が馬車道を照らす |

ガス灯の柱には全て馬車道の文字とマーク |

馬車道の関内ホール前にある記念碑 |

記念碑壁面のレリーフ |
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