| 第3回 |
新しいもの好きが通った
−西洋料理店−
 |
| 日本初の西洋料理店誕生の地、姿見町付近。(現・末広町) |
|
このコーナーは、西洋から横浜を通してはじめて日本に入った文化やモノを紹介、その歴史と現在をお伝えする温故知新企画です。今回のはじめては「レストラン」。このはじめては、長崎と横浜の融合、運命の出会いがあったようです。
|
横浜ではじまった「西洋料理店」
『横浜沿革誌』に、「69年、谷蔵なる者、姿見町3丁目に西洋割烹を開く」と記されており、明治2年8月に長崎生まれの大野谷蔵が姿見町(現・末広町)に最初の西洋料理店を開いたとされている。これが日本における「西洋料理店(レストラン)」のはじまりである。
 |
| 谷蔵の2号店「開洋亭」が開店された相生町5丁目。 |
|
ちなみに、三河屋や精養軒など、東京のレストランのはじめといわれる有名店は、翌年の明治3・4年ごろの創業であった。
日本人と西洋料理
その頃、お客はほぼ外国人。日本人が洋食を食べることは非常に珍しかった。しかしそこは横浜。新しいもの好きのハマっ子は、たまに洋食を食べに来たらしい。
しかしながら、マナーを良く知らないために、スープを膝にこぼしたり、肉をナイフで刺して頬張り、唇を切った者もいたらしい。
そんなわけで食べ方のわからない西洋料理は徐々に敬遠され、営業は長続きしなかった。1号店は儚くも失敗に終わったのである。
 |
| 小林平八の「西洋亭」があった仲町通り。 |
|
しかし谷蔵は場所を相生町5丁目に移し、開陽亭の名で再度開店した。その頃になるとさまざまな西洋料理店が増え、家庭でもマナーが浸透し、日本人もナイフやフォークの使い方も覚えてきていた。この開陽亭で、谷蔵は大成功。特にビフテキが大評判となった。
 |
| 仲町通りに隣接している開港記念館。 |
|
この開陽亭と前後して、※ヒュースケンのコックをしたことがある小林平八が、南仲通りに西洋亭を開業した。
また、明治8年に宮内庁内膳司出仕の松岡立男が、西洋料理の修業を命じられて、グランド・ホテルのフランス人ボン・ナのもとでフランス料理を学んだ。それから宮内庁の接待はフランス式になったという。その後、民間もこれに習ってフランス料理が流行していった。
今では横浜に数多く存在する西洋レストラン。横浜市のホームページ内、「統計で見る横浜」によると、横浜市民が洋食で支出する外食年間支出金額は、全国で2位(1位さいたま市)。また、食卓で消費する食品に、ハム・チーズの消費量が全国で1位となっている。これは全国平均の1,33倍。家庭でも外食でも、ハマっ子は「洋食好き」と考えてもよいのではないだろうか。
ベイサイド・ウオッチでも数々のレストランをご紹介しています。レストラン発祥の地の情報を、どうぞご覧くださいね。
(文・取材 大塚みき)
※ 『ヒュースケン日本日記』の著者で薩摩藩士に襲撃され、無念の死を遂げた。
|
|