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第4回

日本野球のルーツは横浜にあり!

−野球の試合・ナイトゲーム−


日本初の西洋料理店誕生の地、姿見町付近。
JR関内駅から徒歩3分ほどで横浜公園入り口に到着する。

このコーナーは、西洋から横浜を通してはじめて日本に入った文化やモノを紹介、その歴史と現在をお伝えする温故知新企画です。今回のはじめては「野球の試合・ナイトゲーム」。日本で初めて行われたのは横浜だってご存知でしたか?

はじめては外国人同士の試合から

仲町通り
入り口右手にはどっしりと横浜スタジアムが。
 1859年の横浜開港は、外国人居留地を生んだ。外国人たちは、居留地に住み始めると同時に運動場の開設を要求。1868年には英国の豪商、J・P・モリソンが現在の横浜公園近くの彼らが“スワンプ”(沼地)と呼んだ埋め立て地(横浜公園予定地)60アールを借り受け、YCC(横浜クリケットクラブ)を開設した。横浜の外国人居留地で発行されていたジャパン・ウィークリー・メイル紙1871年(明治4年)10月21日付けに「横浜ベースボール・クラブの設立が提案された」という小さな記事が載った。
「コロラド号の水夫、居留民それぞれ9人が先月30日の土曜日、野球の試合を行った。埋立地のグランドだったので、つるつると非常に滑りやすかった。しかし、その悪条件にもかかわらず、4イニングにわたって好試合を展開。特にコロラド号の水夫たちは、キビキビとしていた」。結果はコロラド号の水夫チームが14点、居留民チームが11点だったという。

「横浜草創史」によると、横浜ベースボールクラブ(YBBC)が設立されたのは1876年だという。現在から約20年前まで日本の野球は、1873年に東京の開成学校(現在の東大)で米人教師のウイルソンが紹介したのが始まりというのが定説であった。その後、それよりも2年も前に、横浜で試合が行われていたことがわかり、現在では野球は横浜が発祥の地としている。

 1887年(明治17年)YCC(横浜クリケットクラブ)、YAAA(横浜アマチュア・アスレティックアソシエイツ)、YBBC(横浜ベースボールクラブ)、YFBC(横浜フットボール・クラブ)の4団体が合併してYCAC(横浜クリケット・アンド・アスレティック・クラブ)が結成され、これ以降、野球もこの団体によって行われることになった。(現在は横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブと称して主に在日外国人の会員制クラブになっているが、日本人へも結婚式場、子ども達のサッカー教室など公開している)
http://www.ycac.net/index.htm

YCACチームに日本チームが圧勝

相生町5丁目
スタジアムのライトは選手たちを輝かせる。
 YCACチームの出現、開成高校など日本における野球人口は序所に広まりをみせる。東京では1891年(明治23年)、第一高等中学校(現・東大、教育学部)に投手、福島金馬という選手が現れた。アメリカ留学から帰った同校の生徒にカーブを伝授されたその手腕で活躍したという。第一高等中学校全盛期の1896年(明治29年)5月23日、YCACは第一高等中学校チームと対戦したが4対29で大敗した。さらに6月4日のリターンマッチで、このときもYCACは9対23で完敗。その日、試合のうわさを聞きつけた横浜高校(Y校)の生徒が大挙して第一高等中学校の応援に駆けつけていた。大勝した第一高等中学校は応援の礼にY校へ1本のバットと1個のボールをプレゼントした。これが横浜野球の名門、Y校での野球熱が高まるきっかけとなったという。
 また、全国に野球が広まるきっかけとなったこの試合の仲介者は第一高等中学校教師のメイソンで、会場はいずれも横浜公園のクリケット・グラウンドであった。『市史稿』はこれを「わが国における野球国際競技の始め」としている。
 こうして居留地の外国人たちが繰り広げる野球のプレーは、横浜市民から全国区へと伝わり、横浜出身、明治生まれの作家・獅子文六が「子どもたちの野球熱がさかんになっていった」と書き記すほどとなった。
 1929年(昭和4年)関東大震災復興事業の一環として「横浜公園球場」が竣工、こけら落としの早慶新人戦にスタンド満員の15000人観衆を記録。1934年(昭和9年)にはベーブ・ルース、ルー・ゲーリック率いる米大リーグオールスターが来日した。(全日本は4対21の大敗であった)

もうひとつのはじめて 日本初のナイトゲームの開催地

仲町通り
現在、公園内にはカラフルな遊具も設置。
 そしてもうひとつのはじめてが。 第二次世界大戦後、この球場も駐留軍に接収されて「ゲーリック球場」という名であった1948年(昭和23年)8月17日、日本初のナイトゲーム(巨人対中部(現中日)戦)がこの球場で行われた。現在でも8月17日は「ナイターの日・プロ野球ナイトゲーム記念日」とされている。1952年(昭和27年)には駐留軍から接収解除され横浜市に返還。1955年(昭和30年)には横浜公園平和野球場と改名された。その後球場が老朽化したためスタンドの収容人数を半分に減らし、再建推進協議会が発足、再建陳述書を提出。1977年(昭和52年)に横浜スタジアムとして新球場が誕生した。
 その1年後の1978年(昭和53年)、川崎球場をホームにしていた大洋ホエールズが横浜スタジアムをホームにして横浜大洋ホエールズが誕生した。1992年には横浜ベイスターズに改名。その6年後1998年には日本シリーズを制覇し38年ぶりのNIPPON CHAMPIONに輝いた。
 このように、横浜と野球の歴史は切っても切り離せないもの。歴史的な球場をホームとしているベイスターズにも益々(?)頑張ってもらいたい。
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