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第11回

災い転じて「音」と化す

ー 吹奏楽 ー

日本吹奏楽発祥の地

このコーナーは、西洋から横浜を通してはじめて日本に入った文化やモノを紹介、その歴史と現在をお伝えする温故知新企画です。今回のはじめては「吹奏楽」。このはじめては意外な事件を発端に日本人へ浸透していったようです。

妙香寺
妙香寺は814年に設立された歴史のある寺である。814年、真言宗本牧山東海寺と呼ばれていたが(創立:弘法大師)、以後幾多の変遷を経て山号を本牧山と改称し、現代に至る。
外国人軍隊の駐留
 1853年(嘉永6)年、ペリーが黒船とともに日本に来航し、日本の鎖国の歴史が幕を閉じると、山下町を中心とする外国人居留地が横浜に造成された。その後も外国人の人口は増え続け、山手居留地も増設されたがこの間、巷では外国人を狙った殺傷事件が頻発するようになり、幕府を震撼させた。
 この事件は居留民保護のためにと訴える外国人軍隊の駐留を、幕府は認めざるをえないという事態に発展してしまった。1863年、ついに幕府が駐屯を認めたとたん、仏軍が上陸。翌年には英軍の第1陣として第20連隊が来日した。しかし幸いにしてその後は殺傷事件や発砲事件に至る事態は1度も起こらず、英国の第20連隊が演劇・音楽等の会を開くなどして居住地住民へ娯楽を提供していた。
妙香寺本殿
ここで青年薩摩藩士たちが吹奏楽を学んだ。「日本吹奏楽発祥の地」の碑は本殿(写真)の右横にある。
青年藩士軍楽隊の誕生
 そんな中、京都から東京へと“奠都(てんと:都を定めるという意)”が決定し、1868年9月20日に明治天皇は総勢3300人の大所帯で京都を後にした。その道中で神奈川県に到着した際、天皇一行を迎えるセレモニーとして、当時山手居住区に駐屯していた英国海兵第10大隊とフランスの軍楽隊が楽器演奏を披露した。警護に当たっていた薩摩藩士がこの演奏に甚く感動。自藩でも軍楽隊の設立を目指そうと翌年(1869年)5月に、薩摩藩一等指図役肝付兼弘が藩命として練兵法質問のため横浜英国歩兵隊へと派遣された後、英国陸軍第10連帯第1大隊所属軍楽隊の指導者ジョン・ウイリアム・フェントンへ師事を仰ぎ、吹奏楽を学んだ。同年10月、最終的に派遣された青年藩士は30余名に増員され、わが国初の吹奏楽団創立の序となった。このとき青年藩士たちが宿舎していたのが山手居住区近くにある妙香寺だった。
「国歌 君が代由緒地」の碑
「国歌 君が代由緒地」の碑は寺へと続く車道入り口にある。
幻の「君が代」
 妙香寺には「日本吹奏楽発祥の地」と「国家君が代由緒地」の碑がある。国歌である君が代も実はこのフェントンが生みの親なのである。フェントンは外国では儀式において演奏する国歌があるということや、その必要性を教え子である薩摩藩士に説き、政府にも進言していた。砲兵隊長大山弥助(のち陸軍元帥大山巌)は平安時代に詠まれた和歌を基に歌詞を作成。作曲はフェントンであったが、日本語の全くできないフェントンの通訳である原田宗助が唄っていた「武士(もののふ)の歌」を参考に作曲したという。参考にした歌が悪かったのか、フェントン作曲の君が代はあまり評判が良くはなかったようで、後に林廣守の手によって作曲を置き換えることとなり、フェントン作曲の君が代は過去のものとなってしまった。
浄行観音
車道へと進むと直ぐ左手に浄行観音が。さらに進むと本殿へ誘う石段がある。
 クリスマス、年末のイベント、横浜開港150年イベント等で、吹奏楽(ブラスバンド)の響きは横浜のいたるところで耳にする機会も多い。そんなよくある光景、響きも、横浜が発祥と知ると違ったものに感じるのでは。フェントン作曲の君が代もどんなにひどかったか(!?)聞いてみたくなるから不思議だ。

(横浜ベイサイドウォッチ2007.11.22 撮影/堤剛 文/大塚みき)
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